「遷延性意識障害」をご存知でしょうか。自力で移動できない、摂取できない、意思疎通できないなど条件として定義された6つの項目が3ヶ月以上継続している状態を言います。いわゆる植物状態のことですが、言葉の倫理的な問題もあり、現在は遷延性意識障害と表現されています。愛美が倒れて半年経過した頃、命は取りとめたものの、激烈な痙攣と高熱、四肢麻痺、意識が戻らない状況の中で、遷延性意識障害に関する全国組織があることを知り、とにかく何か情報が得たいと藁をもつかむ思いで入会しました。
6/7,8に東京で開催された全国遷延性意識障害者・家族の会の総会と学習会、そして厚生労働省との会合に参加しました。総会では、情報交換を兼ねた話し合いがあり、全国の愛美と同様な方々について、良くなっている人、悪くなっている人、変わらない人、いろいろな状況を聞くことができました。なかでも愛美と同じ4年間で驚異的な回復をしている人のことを知り、障害は人それぞれ同じ状況はないとわかっていても、愛美に対してもっとできることがあるのではないかと、自分の力不足を痛感しました。
厚労省では、会として極めて重い障害と地域での社会資源の余りの少なさを踏まえた制度の改善を要請しましたが、用意された回答は踏み込んだものではなく、昨年要請した検討事項もそのままと、何とも手応えのないものでした。厚労省の担当者が「私にも未成年の子供がおり、何時そちら側に座るかわからない。他人事ではない。」と言われましたが、その言葉の中にこそ「こちら側とそちら側」をいう線引きを私は感じてしまいました。そこで私は、「私自身ここにいることを4年前には想像もしなかった。望みは娘が18才の女性としてみんなと一緒に普通に楽しく暮らせること。それができないから今私はここにいる。本当にそう思うのなら、当事者や家族の立場に立って、何ができるかを考え、厚労省が引っ張っていって欲しい。」とお願いしました。
厚労省へ行く途中、国会議事堂に立ち寄ってみました。荘厳なたたずまいです。その姿を見て思いました。なぜ女の子一人さえ救えないんだと。自分にも問いただすように。