昨年を振り返ってみると、愛美を取り巻く生活環境の整備については大きな進展がなく、力不足を痛感するとともに愛美に申し訳ないと思っています。
一方、愛美自身はよく頑張り、「自己表現の芽生え」と言える年ではなかったかと思います。動かなかった足を少し動かしてみせたり、パソコンの画面と音声であかさたな順に流れるひらがなに対して、指示した文字をボタンで決定しながら文章を作ったり、ベッドで声を出して近くに来た看護師さんや介護士さんに気づいてもらおう(お願いをしよう)としたり、Yes/Noや多肢選択の表現もより明瞭になってきました。
こうしたいという自らの意思を手足の動きや発声等の行動に結びつけているという事実そのものが驚きであるとともに、もっとよくなるという希望と彼女の可能性を奪ってはならないという決意を抱かせてくれました。
また、これら手足の動作や嚥下(飲み込み)の阻害要因も素人ながら見えてきました。痙性麻痺(痙縮)です。意図せず強い力が入ってしまう、入れた力が抜けないなど自分ではコントロールができないようです。そのために何種類かの薬を投与していますが、抑えきれていないのが現状です。これを解決できれば、意思表現(コミュニケーション)の可能性や嚥下機能の改善が飛躍的に向上すると考えます。嚥下機能の改善は、痰吸引が不要となり、気管切開と胃瘻の除去にもつながります。痙性麻痺の適切な治療法があれば、すぐにでも受けさせるのですが・・・。
年末に見せた愛美の驚きの感情表現をひとつお伝えします。愛美が新たな人間関係を形成し、その中に喜びや信頼等の思いを込めていたことを示す印象的なものでした。
12/13 日曜日の朝、4ヶ月近く愛美と同室だったおばあちゃんが亡くなられました。とても優しくかつ強い気持ちを持たれた方でした。おばあちゃんは飲み込む力や吐き出す力が弱く、食事や痰でとても辛そうにされていました。また、声を出せないため会話はホワイトボードによる筆談でした。二人の間に言葉による会話はありませんが、窓際に並んだベッドでいつも一緒にいました。ある時、車いすに乗った愛美が口の中に溜まった唾液で苦しそうにしているのを見て、ボードに書いて知らせてくれました。自分のことだけでも大変なのに愛美を見守ってくれていたのです。愛美に「おばあちゃん、亡くなっちゃったんよ」と言うと、表情を一変させ、大粒の涙をボロボロ流し、大声で泣き始めました。泣き止む気配はありません。しばらく公園に連れて行き落ち着かせていると、おばあちゃんを乗せた車が病院を出て目の前を通り過ぎていきました。愛美が再び泣き始めました。言葉を発することはできませんが、「おばあちゃん、いままでありがとう。さようなら。」と言っているようでした。

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